タイトルの意味は、「取替えっ子」というのが一般的なんでしょうか。
日本では、親が子どもに対して「あんたはうちの子じゃない。橋の下から拾ってきたんだ」と言い放つようなシチュエーションがありますけど、欧米では「子どもが妖精(あるいは悪魔)に取り替えられたのだ」という言い回しになるんだそうです。

こういう言葉は、親が子どもを懲らしめる意味で子どもを脅かす場合にも使われるんでしょうが、そのほかに、親自身が子どもをいろんな理由により愛せない場合の言い訳にも使われるそうで、なかなかに意味深長なタイトルだあというのが、第一印象なのでありました。

見終わってからの印象は、アンジーのぽってりした肉感的な唇(笑)。
真っ赤なルージュで強調されたその唇が、意思をとても強く表現していたように思います。
時代を感じさせるクロッシュタイプの帽子により、目があまり見えない(見づらい)感じがあるんだけど、その分目がアップになったときの目力も凄い。
私はあんまりアンジーの作品は見てないんだけど(アクションが多い印象があります)、とてもエネルギッシュな女優さんですねぇ。存在感があって。

物語はここ数年のイーストウッド監督らしいものに仕上がっていて、相変わらず暑っ苦しい(爆)。いや、嫌いじゃないけどね。

それにしても、これが実際の起こった事件だというのが驚きです。
嘘をついていた少年の動機があまりに子どもらしすぎるのも、苦いですしね。
主人公が少年に「あなたは自分がやっていることの意味をちゃんとわかってないのよ」というようなことを言うシーンが、クライマックスになってしみじみと心に迫ってきました。

一筋の希望を残したラスト。
私も信じたくなりました。
映画化のときに原作が文庫化されたので、その際に読了してます。
映画は基本的に原作に忠実に作られてたかなぁ。

主人公が男性で、その彼の主観がメインに展開されるせいもあって、香西さんという女性の描かれ方が物凄いリアリティがないなあというのが、原作での印象でした。

映画では、そのリアリティのなさが、つかみどころのない女性という形で浮かび上がって見えたけど、そういう意味で香西さん@原田知世がしっくり役に馴染んでいたような気がしました(^^;。

主人公の江口洋介は、なかなかに好演していたように思います。
戦争という非日常を、最初は他人事のように感じていた彼が、次第にその深部に関わらざるをえない状況になっていたときにパニックや恐怖、彼なりのリアルを自覚する部分とか、頑張っていたような感じ。

しかし、いかんせん物語そのものが「ちょっと惜しい」展開なので、原作の読了時と同じく、残念感があったのでした。
折角の題材なんだから、もうちょっと深い部分まで描いていれば、骨太なテーマまで消化させられたんじゃないかしら。

そうそう。
主人公の勤める職場の上司が岩松了さんでした。
丁度先日「超人ウタダ」でも狂気を孕んだ中年男性を演じていて、こういう怪演も出来るヒトなんだなあと発見したばかり。
この映画でも、精神的に独特なキャラクターをさりげなく演じていて、なかなか面白い俳優さんでもあるんだなあと認識しました。
これが見れただけでも、めっけもんだったかも(^^;。
大ヒットTVシリーズの劇場版。「肩書き」と「愛」を手に入れた4人を待っていたのは、思いがけない“ハッピーエンドの続き”だった。未公開シーンを追加した本編エクステンディット・バージョンほか、特典満載の3枚組。


映画館で見られなかったのは残念ではあるんだけど、私の中ではSATCって吹き替えのイメージが強いので、その意味ではDVDで観賞できてよかったのかも。
最初の10分ぐらい字幕で見てたんだけど、SATCって言葉の情報量からすると字幕だと言葉が少なすぎるように思うんだよねぇ。
英語がヒアリングできれば関係ない話なんでしょうけれども。

キャリーとビッグが結婚する、という話の持ち上がり方に違和感がなかったのが、この映画の勝因だと思いました。
ビッグのキャラクターからして、普通に盛り上がって結婚するとは全然思えないもんね。あの流れで、キャリーとの長い関係性から受け入れることができた、という動機の部分は、私は「巧い脚本だなあ」と感じました。
そして、その後の仕打ちも、だからこその納得。

そうそう。
私が見たのは「特典Disk1」の映画での未公開シーン追加版でした。
その後、特典Disk2で最終的な未公開シーンも見たんだけど、これでやっとビッグが結婚式に対していろいろモヤっとしていたんだという下地が見えてきたので、見られてよかったです。
公開版映画だけだと、彼の葛藤の根拠がちょっと弱いかな~と思ったので。

全体に、TVシリーズそのままの雰囲気が壊れることもなく、すべてのキャラクターが異常な美化をされずに素直に表現されてて(サマンサの裸寿司とか、ミランダのVゾーンジャングルとか(笑))、期待通りに楽しめました。

そして、ミランダ大好きな私にも、今回の映画での彼女は魅力的でした。
サマンサの最終的な決心も、凄く共感できる部分があったし。

というわけで映画版でも結構な人気があったようですね。再映画化決定だそうです。
今度はどんな物語になるのか。彼女たちがどう生活しているのか、また知ることができるかと思うと、楽しみです。

●「蟲師」

2009年1月21日 映画
漆原友紀の人気コミックを、アニメの巨匠として知られる大友克洋監督が実写化。できあがった映画版『蟲師』は、いい意味で、期待を裏切ってくれるはずだ。約百年前の日本を舞台にした、一般の人たちには見えない「蟲」の起こす現象に相対する「蟲師」たちの物語。オダギリ ジョー演じる蟲師のギンコが旅をしながら、蟲に冒された人々の病を治し、自らと蟲の関係も突き詰めていく。
得体の知れない「蟲」を表現するために、大友監督は過剰なビジュアルを避け、見えるか、見えないか、ギリギリの繊細な映像を重ねていく。監督自身がロケハンで見つけた、滋賀や岐阜にある手つかずの山奥の風景も相まって、まさに「幽玄」の美しさは、DVDの場合でも、ぜひ大画面で体感してほしいところ。好き嫌いが分かれるポイントはドラマ部分で、ギンコが、探幽という蟲師の少女にとりついた蟲と戦う山場などはあるものの、全体には物語の大きなうねりに欠ける。ただ、この映画は物語を見せるものではないのだろう。触れられそうで、触れられない蟲のように、おぼろげな感覚に酔わせる作品なのである。


やっと見ました。
以前アニメでいくつか見て、その雰囲気が好きだったんだよね。それに主演がオダギリだし、監督は大友さんだしで、楽しみにしてました。

綺麗な日本の風景を描写していて、大友さんってアニメのイメージが強かったから、こういう風景を魅せる人なんだなーとちょっと意外だったかな。
白い髪のオダギリもなかなかに雰囲気があったし、蟲のCGは私はアリかな、と感じました。

しかしやっぱりストーリーがねぇ…。
実は原作は読んでないんですけど(^^;、とにかくアニメがとっても雰囲気がすばらしくて、それを期待していたので、裏切られた感は強かったです。

漠然としたものはあるにはあるんだけど、この取り留めのなさは残念だったなあ。

共演の大森さんは私は好きでした。ちょこっと野卑でいい人なのが見えて、可愛かった。
蒼井ゆうは立ち姿が綺麗で、出てるとは知らなかったのでびっくりしたな。

ただ、アニメを見ていたから蟲というものの前知識があったからよかったものの、これは全然知らない人がみたら、わけの分からない映画になっていたんじゃないかなと思った。
それほど説明が足りないし、足りないことが不満に感じる映画になっていたと思う。

個人的には白髪のオダギリもいい男だったので許す(^^;。
自分の死を引き換えに、というのはLというキャラクターにはちょっと似合わないなーと思っていたので、本編後編のクライマックスは私はあんまり納得できないんだよねぇ。
そもそも映画のラストって、ライトが馬鹿だったし(^^;。
それまで、頭脳戦で冴え渡っていたライトの知恵が、クライマックスであんなにマヌケになるっていうのが許せない。少なくともLが息絶えたのかの確認をライトが自分でちゃんと行わなかったなんて、ありえないでしょうよ。
ま、それはともかく。

松山ケンイチというと私の中でかなり比重が高いのがロボ@セクシーボイス&ロボ。そしてその次がクラウザーさん@デトロイト・メタルシティ。
というわけで、シリアスな表情で陰気にしゃべるマツケンにしょっぱなから違和感を感じまくり(笑)。
いや、巧いなあと感心しながら見ちゃうという、あんまり正しくない映画鑑賞の仕方をしてしまった。もっとのめりこまないと勿体無いわね。

最初、アジアのどこかの国から逃亡する子どもが、Lの過去の話なのかな?と邪推しながら見ていたので、現代のLとリンクしたときにびっくりした。
じゃあ誰だよ、と(^^;。

その謎(?)がクライマックスに明かされたとき、原作を読んでいた私は「ああああ、そういうことかー!」と叫んでしまったのでありました。
映画では、映画独自のクライマックスだったせいで出番のなかった原作の彼、かあ。なるほどねぇ。
しかし最後まで気がつかなかった私も結構迂闊だわね。途中のフィボナッチ数列のところで気がつけよって話(^^;。

途中、やっぱりシナリオとして納得いかない部分はあったんだけど(汚染の可能性のある人間を連れて公共の乗り物を利用するって、慎重なLがするとは思えない、とか)、大筋としてはエンタメとして楽しめました。

スピンオフとしてもなかなかうまくできていたと思います。
運命は時に残酷である。
命あるものすべてに危機をもたらす戦いの鍵に、たった12歳の少女を選んだのだから。
名はライラ・ベラクア。
あなたの知らないもう一つの世界で、自らの運命を断ち切る旅に出る。
手には真実を示す羅針盤、隣にはダイモンと呼ばれる彼女の分身。
敵か味方かわからない大人たち、彼女を助ける奇妙だけど勇敢な仲間たち。
ライラはまだ知らない。
彼女の旅の行く末が、すべてのパラレルワールドを巻き込むことになろうとは。
底が抜けるような驚きと、引き返せないほどの恐怖に、ライラの意志が試される。


原作が面白いと聞いていたので、楽しみにしてました。
実は原作の文章を本屋で何度か読んでみたんだけど、どうしてもその文章に慣れなくて。どうにも私と相性が悪い。でも小耳に挟んだストーリーは私好みのファンタジーらしく、文章を我慢して読むべきか、かなり悩んでたんだよねぇ。
というわけで、映像になってくれてので、まずはこちらで味見、といったところ。

映画は、かなり…多分原作未読でファンタジーに慣れている人なら、上手に想像で補いながら楽しめるんじゃないかなあと感じました。
物凄く原作の重厚な作りをはしょってる感じを強く受けたんですよねー。
人によっては全然世界の背景が見えないんじゃないかなあ。その程度には不親切。原作付きの映画だからねえ、脚本が悪かったんだと思います。

そして思ったとおり、作りこんだ世界設定好きな私には、好きそうな物語だということが判明したのでありました。
これはやっぱり読まないと…かなぁ。
映画化されたときに文庫になっていたはず。頑張ってみようかしらん。
リトル家の養子であるネズミのスチュアートは、両親に愛され、幸せな日々を過ごしている。だが、自分を子供扱いする心配性の母をちょっと鬱陶しく感じるお年頃。夏をすごすために湖のキャビンに出発する一家。車の中でパンフレットを見たスチュアートは「レイク・スカウト」に入団したいと言い出す。案の定、母は反対したが、父が一緒に参加することで承諾を得た。ゲームに夢中のジョージも、湖で出会ったブルクに魅了され、入団することになり・・・。

小さなネズミのスチュアートが人間の家庭に養子入りし、さまざまな騒動を繰り広げていくファミリー・エンタテインメント映画シリーズのお特用DVD-BOX。何よりもCG技術の進歩によって実現しえたネズミたち動物の愛らしくもダイナミックな動きが素晴らしく、人間と動物たちの会話が普通に成立っているユートピア感覚の世界観も心地よい。ネズミだから当然ネコも登場するわけで、敵役ネコのスノーベルは第2作でなかなかのおちゃめなところをみせてくれる(いつかは『トムとジェリー』も実写映画化できそうだ)。第3作はフルCGアニメーションで、できることなら実写シリーズとして続けてもらいたかったところだが、シリーズの世界観を裏切るものではない。マイケル・J・フォックスの声も彼がパーキンソン氏病に侵されながらも前向きな姿勢で仕事を続けているのが伝わってきて好印象である。小さなお子さんのいる家庭ならずとも、ぜひご一見のほどを。


リンクはトリプルパック、だそうです。3単体のDVDはないのかしらん。
以前WOWOWで放送されたものを録画しておいたので、みました。

1も2も大変楽しく観賞しましたので、3も期待大。
しかし3はCGアニメーションだったので、ちょっとだけ印象が違ったかな。でもストーリーは、ちゃんと前作を継承していて、面白かったです。

夏のキャンプに出かけて、スチュワートが大冒険する物語。
森の嫌われ者と仲良くなり、一緒に冒険を楽しみ、最後には森の仲間たちとも和解し、といった黄金ストーリーです。

アニメになったことで、個人的には絵柄が少しとっつきが悪かったんだけど(アメコミ調っていうのかなあ、アメリカのアニメのタッチが苦手)、でもお話はよかったです。
沢山笑って、気持ちよくなりました。

やっぱりアメリカの少年たちにとって、ボーイスカウトって格好イイって写るんでしょうかね(^^)。

見えない聞こえない狐のヘレンの物語。
聞こえないから話せない(鳴かない)というのはわかったけど、物語中、鼻も駄目だとわかった根拠がよくわからなかった。

しかし、鼻も駄目となると、実際食事もままならないんだろうなあという想像はできる。
鼻先に食べ物があるのがわからないって、野生では致命的でしょう。

母親に翻弄される主人公少年が、ヘレンに自分を重ねて愛情を注いでいく過程が素直に描写されていたと思う。
一緒に暮らす獣医@継父?との難しい関係性とか、ああそうだよなー、と共感できた。

途中、主人公が転入先のクラスに馴染めないまま、ヘレンのために狐に関して図書館で調べていたときのシーンがよかった。
同級生の男子が、主人公に直接話しかけられないんだけど、狐の習性について教えてあげたい、というのがとってもよくわかって(笑)。彼が、友達の女子に話しかける形で狐のことを主人公に伝えようとするところが、なんだか可愛らしかったな。

そうそう。
獣医の恩師という役割でおひょいさんが出てたんだけど、珍しく悪役(ではないけれども、主人公少年からはそう見えただろうと思う)だったのが意外だったなあ。
だいたい好々爺な役が多いからさ。

そして、かなーりチョイ役の駐在さん@阿部サダヲちゃんにびっくり。
あんまり彼らしくない役柄だったけど、こういう落ち着いた(?)役もたまには新鮮に感じるわね(笑)。

沢山の狐の姿も見られたし、ヘレンの愛くるしい仕草もキュートでした。
うん、見てよかったな。

蛇足。
途中のCMで「きつねと私の十二ヶ月」の宣伝が。映画館でもトレーラを見て気になっていたんだよねえ。「皇帝ペンギン」の監督の作品らしい。時間が取れたら見たいなあ。
リンクを溶かすほど暑苦しいキュート&ハレンチな男子ペアが巻き起こす、爆笑必至のフィギュアスケート・コメディ!
男子フィギュアスケートシングルズ界のツートップ、セクシー・マッチョなチャズと、繊細で純情な天才美青年ジミー。常にしのぎを削ってきた2人は、同着1位の表彰台で大ケンカし、栄光から一転どん底へ。そんな2人がトップの座への返り咲きを賭けて選んだ手段とは、男同士のペア・フィギュアだった…。


映画が公開される前から一部腐女子間で話題になっていた映画です(笑)。

劇場公開はさすがに田舎な地元ではなかったので、見る機会をうかがっていたんだよね。ありがとうWOWOW(^^)。

男子シングルから追放されたからペアに乗り換えるってのは分かるけど、それが何故男子同士のペアなのか(爆)。
犬猿の仲の彼らが、メダル獲得という目標に向かって力を合わせていく爆笑コメディでした。

手のひらからの火炎(笑)、冬の屋外でアイスクリームデート、禁断のペア技、などなど、新年から笑わせてもらいました。
うふふふふ。

あ、そうそう。
カメオ出演っていうのかしら、サーシャ・コーエンが出ててちょっとびっくりしたわ。
年末に見た映画はコレ。
普段近所のシネコンで単館系(つまりマイナー)なのばっかりみてるので、大体客は少ないことが多い。大抵、平均して10人弱ぐらいしかいない場合ばっかり。
なので、満員の映画館ですぐ隣にも人がいるという状況での映画は、最初ちょっと慣れなくて緊張した(笑)。さすが新宿。

地元の映画館では吹き替えしか上映してなかったので、丁度上京するのにあわせて字幕版のかかってるところを探してあったのでした。

いやあ、単純にすっごく楽しい映画でした!(^^)

御伽噺の王道をまっすぐに進んでいて、先の展開が読めるわかりやすさだったけど、こういう映画はこれで正しいんでしょうね。
ウォーリーの愛くるしい表情、おずおずと差し出される手の仕草、ロボットだからこそのリアリティ表現なんだろうなあ。

しょっぱなから笑ったのは、充電完了の音がMacの起動音だとか、そういった細かな部分でした。
キャタピラに踏まれても復活するGの描かれ方も笑えたし。

もともとピクサーの映画は私は好きだけど、今回の映画が私のピクサーベスト1になったよ。これまで不動のトイ・ストーリーを抜いた(爆)。
DVD、出たら、買おうっと。

6年2組を担任することになった新米教師の星(妻夫木聡)は、食べることを前提として子ブタを飼うことをクラスの生徒たちに提案する。校長先生(原田美枝子)にも相談し、卒業までの1年間26人の生徒が子ブタの面倒を交代でみることになる。最初は戸惑っていた子どもたちも、“Pちゃん”と名付けた子ブタを次第にかわいがるようになり……。


一応の主演ってことになってるのは妻夫木聡になるようですが、主役はやっぱり豚のPちゃんでしょう。
六年生の皆に育てられるPちゃんの可愛さは、もともと動物大好きな私には大変な魅力なのです。
リノリウムのようなゴム床を、足を滑らせながらトコトコと歩くPちゃんのお尻の愛らしさときたら、たまりませんな(…ヘンタイ…?(^^;)。

映画は、新人先生が、小学六年生に「この豚を一年飼って、卒業のときに食べます」と宣言するところから始まります。
最初は特に感慨もなくそんなものかといいつつ育て始めた六年生は、自分たちで育てていく経験をつむことで、「本当にPちゃんと食べるのか?」ということに向き合うことになるのでした。
果たして、Pちゃんの運命はいかに?

映画製作者の思う壺、なんだろうなあと頭の片隅で思いながらも、やっぱり小学生の子どもたちが泣きながらそれぞれの思いを言葉にしてディベートしていくシーンは、涙なしにはいられませんでした。

大切なのは、結局Pちゃんをどうしたのか、という部分より、そこにたどり着くまでに多くの子どもたちがその事柄に真剣に向かい合い、どうやって自分の感情を整理し、それをどうやって他人に伝えるのかを苦心する、その姿なのでしょう。
こんな立派なディベートが、小学生でもちゃんとできるんだなあと奇妙に冷めた目で見ていることもありました。
そしてそのディベートの進行を、自分の考えを押し付けないようにうまく流れを作っていた先生も凄いなあと思ったよ。

こういう教育方法がベストであるとは、現時点で私は思えないのだけれども、一応大人である今の私からすると「面白そうな(試してみたい)教育→自分が子どもの頃に受けてみたかった授業」の一つであると感じています。
それを貫くことができた先生(モデルとなる実際の先生がいました)は、とても強いと感じましたね。

映画の中では、さまざまな大人たちも子どもと一緒に考えるんだけれども、私が個人的にとても気に入ったのは、肉屋の親父@近藤良平さんです。

豚を世話する子どものうちの一人が肉屋の子どもで、子どもがPちゃんのために家庭の残飯を用意している横で、子どもの父親は豚肉を捌いてるんですよね。
で、「自分も子どものころに、世話していた豚を殺す父親を 鬼 だと思った」と言うんです。そして彼自身が、豚と肉屋をする父親との関係について感じたことを、自分の息子に話すシーンは、とても印象的でした。

いのちをいただく、と、いうこと。
一度はちゃんと考える必要があることなんだと思いました。
たみおと一緒に考えよう。「しあわせって、なに?」
神埼民男(オダギリ ジョー)は、とある町で父・伸男(原田芳雄)と2人暮らし。女性とのつきあいが苦手な民男が、伸男の上司の紹介で見合いをすることに・・・。相手は、容姿端麗で聡明な瞳(麻生久美子)。
そんな彼女からプロポーズの言葉を先に切り出される。民男は一瞬たじろぐも、縁談がまとまった喜びを伸男に報告する。
優柔不断で何事も成り行きまかせな民男と、ちょっとワケありの風情が漂う瞳。ふたりは着々とウェディングへと向かい、ついに結婚式の当日に・・・。
ふたりが「お見合い」から「結婚」までの道のりを右往左往しながら進むウェディング狂騒曲は、プチに哲学、なのにユーモラスな大人のものがたり。


岩松さんが、オダギリと麻生さんで映画を撮ってるという情報は以前仕入れていたんですよ。
で、気にはなってたんだけど、いつまでたっても地元でやらないなぁ、やっぱり田舎じゃ無理かも…と諦めていたタイミングでの上映です。
早速見てきました。

いやあ、オダギリがダサイ(笑)。妙な服装と、自信なさげな挙動、民男は少し変わったナイーブな青年なんだけど、オダギリがちゃーんとヘンな人を演じていて、やっぱり巧いなーと思いました。
民男は、長めの髪を後ろで一つにしばってるんだけど、その尻尾の部分が寝起きだとぐるぐる巻きで絡まってるとか、デートの日にはしっかりブラッシングしたらしくまっすぐに綺麗にたれてたり、そんな些細な部分まで設定がちゃんと表現されているのが、可笑しかった。
自転車デートでの初心なオトコゴコロもよかったけど、母親の浴衣をきた彼女にときめいて、その後の衝動的なラブシーンなんかはちゃんとオトコっぽくて、少し変わった部分もあるけれども普通の男(なんだと思う)が真摯に生きてるのが伝わってきました。

そしてまた、母親不在の父息子という独特な関係が表現されていて、それもまた面白かった。
お互い遠慮なく無骨な言葉を投げかけているように見えるので、まるで仲が悪いようにも一見見えるんだけど、実はちゃんとお互いを気遣っているからこそ言わないことや知らせないことがあるという優しさが見えて、そういう不器用な関係性って母娘という関係性とはまたちょっと違ったものがあるんじゃないかと感じました。

そういった丁寧な主人公たち親子の描写がある一方で、物語として見たときの展開の奇妙さとエンディングのすっきりしなさ(^^;は、ある意味対照的といえるのかもしれない。
突然帰ってきた伯父、行き場所のない近所の老夫婦たち、父親の恋人(?)、地味にでも一番変人に見えた民男の婚約者…。
部分部分での笑いや奇妙さは、その場その場で笑いになったり、アクセントとして楽しめるんだけど、でも「お話」として見た場合、一体どういうことなのかが全然わからない…。
いやまあ、そういうものを全部解説しない映画ってのもあるけど…個人的にはちょっと苦手かなあ。

そして、クライマックスです。
漠然と「ああ、そうか。そういうことか」という感情は持ったんだけど、例えば誰かにこの映画のストーリーを説明したとして、最後にどうなったのかを言葉で伝えるのは難しいなあと思ったのでした。
まあ、言葉で表現できないから映画で表現した、ということもあるわけで、うーん、難しい。

私は岩松さんは時効警察での課長役としてしかしらないんだけど、普段は舞台の演出とか脚本なんかをやってるようですね。
舞台と映画は彼の中でも別物だという感覚があるようなので、今度は舞台のほうをちょっと見てみたいかも、と思いました。…「恋する妊婦」、WOWOWでもうやっちゃったんだったかなー?
ある夫婦の物語。

木村多江ってスッゴイ美人ってタイプじゃないし、リリー・フランキーは俳優は本業じゃないし、そう思ってみるとこの映画は確かに大作という作品じゃないからなあ。
その意味では正しいマイナー映画の路線だと思う(^^;。

でもね、描かれているのは、とても大切な感情であり、生き方であり、在り方だよな、と思った。

よくある恋愛映画のように、「好きだー」「愛してるー」といいまくり、派手に表現しまくる、それだけが愛情表現じゃないってことなんだろう。

ただひたすらちゃんと視線を注ぎ続け、そして近くにい続けるという愛し方は、万人向けじゃないのかもしれないけど、とても強い姿勢だと実感できた。

こういう物語に接すると、翻って自分の生き方も考えてしまう。
自分ばっかり、自己中心的な感情ばっかりになってないか?
見つめてくれてる視線を、ちゃんと、しっかり、実感することができてる??

もう一度ゆっくりと振り返ってみるきっかけになれた作品でした。
納棺師のお話でした。

納棺師として独立した職があるかどうかは地方によるらしいですね。私の身近な葬式体験では見たことがないので、このあたりでは葬儀屋さんが兼ねてるんでしょう。
北海道とか東北のほうでは納棺師組合などがあるらしいです。物語の舞台は山形でした。

最初、主人公は自分の職業を配偶者にちゃんと伝えられないんです。
「どんな仕事なの?」「…冠婚葬祭、関係…」「ああ、結婚式場なのね」
映画のストーリーとしては、結局その部分が象徴的だと思います。

人の死に関わることってのは、おそらく昔から忌みごととされてきた部分があると思うんですよね。

それは、単純に生物としての衛生観念から来てるんじゃないでしょうか。死体が蔓延すると疫病が発生したという経験則をベースにして。
それを、尊いものだとか人の尊厳だという考え方に持っていけるのは、病気とその発生に対する予防や対処という知恵を得た文化じゃないと難しいんじゃないかしら。
映画を見ながら、そんなことを考えていました。

葬式というものが死者に対するものというよりも、死者を送り出す人間に対して必要な儀式であるとするならば、納棺の儀式というのは、残された人が去った人に対して最期にしてあげられる感謝の表現なのかもしれません。

儀式というのは、どんなものでも厳かな雰囲気があって、それを観る目がある限り、それは一種のパフォーマンスともなりえるわけです。

本木さん扮する納棺師の所作は、ひとつひとつがとても美しく、死者の家族への魅せ方が綺麗だったのが印象的です。

地味な映画ではあるんですが、静かで丁寧に作られていると感じました。
この映画が外国で賞をとったっていうのも、わかる気がしました。

●「ツォツィ」

2008年9月14日 映画
南アフリカ、ヨハネスブルグ。世界で一番危険なスラム。アパルトヘイトの爪跡が今も残る街に生きる一人の少年。本名は誰も知らない。ツォツィ=不良(ギャング・犯罪者を表すスラング)と呼ばれるその少年は仲間とつるんで窃盗やカージャックを繰り返し、怒りと憎しみだけを胸に日々を生き延びていた。名前を捨て、辛い過去を封印し、未来から目をそらし…。しかし、ある出逢いによって、ツォツィの人生は大きく変わり始める。奪った車の中にいた生後数ヶ月の赤ん坊。生まれたばかりの小さな命に、ツォツィの封印していた様々な記憶を呼び覚まされていく。やがてツォツィは「生きること」の意味や命の価値に気づき、希望と償いの道を歩み始める。


不良少年が偶然赤ん坊を手に入れたことで、愛情というものを知る。というようにまとめてしまえば、ありきたりな映画だということになるのかもしれない。
実際、映画のストーリーだけを見れば、そういう映画になるわけだし。

物語としては単純な展開だと思う。
しかし、その描き方がとても雰囲気があったように思う。

足の不自由な浮浪者(?)や、裕福な生活を営む黒人、スラム街でしか生きるすべを持たない少年たち…。
行き場のない怒りや破壊衝動を発散させる場を渇望する子どもたちの姿が切ない。

主演の少年が、とても存在感がありました。
なんというか「目力」があるっていうんでしょうかね、表情が物凄く雄弁なんだよね。

それは、赤ん坊に乳を与える若い女性にも言えました。最初、暴力的に従わされることとなるんだけど、そのときのツォツィを睨み付ける目がとても強い。圧倒されてしまいそうに。

この映画は音楽もとても効果的でよかったです。
アフリカの音楽というのは、私はよく知らないんだけど、独特なものを感じるんだよね。
その曲の持つ雰囲気が映画の場面に似合ってました。

どうやら原作の小説があるようなので、読んでみたいです。
パンダのドキュメンタリー映画。
和歌山にあるアドベンチャーワールドのパンダが、中国の飼育基地に返還されるストーリーと、その中国の飼育基地にある繁殖チームでの母子パンダの子育てストーリーがメインとなって、パンダの生態をみることができます。

いやあ、とにかくもう可愛い!!!

パンダの可愛さっていうのは、本当に沢山ポイントがあるよね。
白と黒の模様の入り方だとか、笹の食べ方、動き、仕草、などなど、ただそこにいるのを眺めているだけでも目が釘付けになっちゃうような愛らしさは、他の動物にはちょっとないように思う。

人間が動物を見つめる視線には、どうしても対象物を擬人化してみてしまう傾向があると思うんだけど、パンダってのはその意味で多くの人に優しさを感じさせるんじゃないかしら。

ドキュメンタリーの撮影期間直後に四川大地震があったそうです。
施設そのものは大きな破損はなかったようですけど、二次被害というか、笹の入手が困難(山崩れだったり、それらを運ぶ人手不足だったり)になっているんだとか。
映画を見たあとだと、あの施設にいるパンダたちのその後がちょっと気にかかります。
パンフには募金についてもかかれてました。映画館にも募金箱とか置けばいいのに。

日本でパンダを見られるのは、和歌山と神戸だけになってしまいました。
今度行ってみようかなぁ。
私はどちらかというと大島弓子の熱心なファンであるとはいいがたい。
実はまともに漫画を読んだことはないし、映画化されることをしってグーグーだけようやく最近手に入れて読んでみた、というぐらい。
でも、萩尾望都や山岸涼子の作品だったら読んでいるし、当時のLaLaでもぱらぱらとは読んでいたので、雰囲気というか傾向というのは多少なりとも知っている部分がある。

という私からみても、この映画は大島さんのあの作品を「原作」とうたっていることが、どうにも納得できないものだった。

映画を見ている最中ずっと感じていたのは、監督はきっと大島信者の男に違いない、ということだった。
以前「まんが夜話」でオタキングが言っていたのって、こういうことだったんだなぁ、って感じ。

途中途中に挿入される大島さんの既存の漫画のシーンは、なんだか勿体無い切り張りが多くて、残念な気がした。

大島さんに限らず、例えば萩尾さんとかもそうだけど、描かれる一コマの中には膨大な情報が秘められていて、それらが積み重なって、16ページなり32ページなりのすばらしい漫画が表現されてると思うんだよね。
それを知った上で重要な一コマを振り返るってのはわかるんだけど、ストーリーも展開も知らない人(この場合は作品未読である映画の観客)には、そういう重要な一コマだけ見せられても、凄さって伝わってきづらいと思うんだよなぁ。
実際、一緒に見ていた相棒はサッパリわからん、って言っていたし(^^;。

24年組の漫画の凄さって、他人に説明するのが難しいんだよね。…っていうか、言葉で説明できるぐらいなら漫画はいらないっていうか、さ(^^;。漫画だからこそ描けるエネルギーがそこにあって、その部分に感銘を受けてるわけだから。


…というように、物凄く原作(というよりもっと大きなものかも)に対する感情に引きずられすぎて、映画単体としてまともに評価…っていうか公平な感想はもてませんでした。
ある意味とても不当な批評をしているという自覚はありますから、万人向けの感想じゃないですよー、とここに書いておこう(^^;。


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さて。
上記のようないろいろな部分はむりやり無視した場合、の話。

主演の小泉今日子、いい具合に歳をとったなあって感じました。
主人公の麻子さんは、若い盛りはすぎたけれども落ち着いた人生を歩んできた女性で、その姿がとても小泉さんにあってたように思う。

麻子さんの心に入り込んできた不思議な魅力を持つ青年に加瀬亮。
私は彼の演技をちゃんと見たことがなかったのよね。
「それでもボクはやってない」での憤りを秘めた静かな普通の男性だとか、「スカイ・クロラ」の強い主体性のない主人公の声としてしか知らなかったので、今回ちょっと変わった、はっきりした物言いの男性の役を演じているのをみて、その演技の幅にびっくりでした。
結構巧い人なんだなあ。

あと、重要なのは猫たち。
犬と違って猫に演技させるのは難しいだろうに、頑張って録ったなあって思いました。
グーグーがソファで足をつっぱって眠るシーンの愛らしさといったら!(^^)

にゃんこたちを見るにはイイ映画だと思います。
学生時代から平凡な女の子だった片倉スズメは、結婚しても平凡な専業主婦だった。幼馴染のクジャクはエキセントリックな変わり者で、いつもスズメは振り回されていたが、それでも怒ることもなく、なんとなーくいまでも友達だ。ところがある日、スパイ募集の広告を見て、思わず電話をかけてしまう。夫が海外赴任中でいないのをいいことに、スズメはスパイになることに。
「イン・ザ・プール」の三木聡監督が「スウィング・ガールス」の上野樹里を主役に迎えて作り上げた脱力コメディ。なんのとりえもないように見えるスズメだが、彼女のまわりには風変わりな人物が集まってくる。こんな人生でいいのか・・と思うだけだったスズメだが、自らアクションを起こすことで人生が刺激的に転がっていく。スパイになることで無色透明な日々が色づいていく様子をユーモラスに描いた愛嬌たっぷりのコメディ。共演は、ふせえり、岩松了、蒼井優。個性派役者の芝居もおおいに楽しめる。


時効警察が面白かったから、これも楽しめるかな?と思って見てみました。
主演は上野樹里。ですが、脇役の岩松了さんとふせえりさんの存在感が物凄かったです。

平凡な主婦は最後まで平凡な主婦なんですが(^^;、個性的な人々と知り合うことで、ちょっとだけ日常を過ごすことに前向きになれた、というお話…かな。
ちょっと変わった物語だったけど、ちょとずつイチイチ面白い創りになってました。
ふふふ。

そうそう。
そこそこ美味しいラーメン屋さんの松重さんが地味にイイ感じでした。好きだなあ。
こちらも予告を沢山みたこともあって、すっごく期待してみてきました。
三部作の第一部だそうです。

70年代に少年時代をすごした仲間たちが、再集結し、悪の組織に立ち向かう。
っていう話なのかなぁ?(^^;

原作の漫画は、「YAWARA!」や「Monster」で有名な浦沢直樹。
一応完結してるらしいんだけど、未読です。映画より先に読もうか悩んだんだけど、結果としては先に映画をみてよかったかな。

コミックスで24冊にもなろうという壮大な物語ですからねえ、いくら三部作にしたところでやっぱり駆け足となる部分が出てきちゃうんだと思います。
ある程度は仕方ないんでしょうけど、映画を見ていて「漫画だとこのあたりもうちょっと細かなエピソードが書かれてるんだろうなあ?」と想像できてしまう程度には、勿体無かったからねぇ。
まあでも、そういうのをさっぴいても楽しめたのも事実。

とにかく出てくるキャストが豪華でした。
主演の唐沢さんは文句ナシ。個人的に好きなトヨエツも、胡散臭さ全開で渋いし、貴子ちゃんも姉御肌で格好イイもんねぇ。
他にも、香川さん蔵ちゃんが美味しい感じでした。

第一部は血の大晦日で終わってます。
ストーリーは全然収束してません(笑)。第二部は大きくなったカンナが出てくるようですね。どういう形に物語がうねっていくのか、続きが楽しみです。
先月から映画を見るたびに、この映画の予告を見ていて、それでずっと気になってたのよね。
原作コミックスは読んだことはないんだけど、絵柄が好みじゃないから今後も読むことはないでしょう(^^;。

さて、映画。

主人公・根岸クンは、オシャレな渋谷系ポップミュージシャンを目指して上京した。
大学でも同じジャンルの音楽を愛する友人にも恵まれたのだけれども、一念発起して音楽事務所に行ったのが運の付き。なぜか悪魔系ハードロックバンド、デトロイト・メタル・シティ(DMC)としてデビューしてしまい、理想と現実のギャップに悩むのでありました。

というのが、映画の最初の15分ぐらい(爆)。

映画のメインは、DMCボーカルのヨハネクラウザーII世というキャラは既に出来上がっている状態で、なおもオシャレ系を目指したい根岸クンの悲哀→笑いを描いたものになっています。

この映画のキモとなるのは、やっぱり音楽でしょう。

デスメタルなハードロック部分は意外にちゃんとロックだった気がする。
個人的には実際の悪魔系ロックバンドのコンサートに行ったときの事を思い出しちゃったよ。「死ね」だ「地獄」だとわめきまくる絶叫縦ノリな音楽は、なんだか懐かしかったなあ(笑)。

そしてそれとは真逆なジャンルのオシャレポップな歌の数々も脱力しながらも楽しめました(^^;。
映画の宣伝でも聞ける「甘い恋人」のゲロ甘なのもいいんですが、特に気に入ったのは、根岸クンの後輩である佐治クン率いるテトラポット・メロン・ティ(この名前だけで腰砕け)の「サリーマイラブ」です(大笑)。
あのトイレでのクラウザーさんとのセッションのインパクトといったら…。クラウザーさんとの妙な踊りが忘れられません。

クラウザーさん:根岸クン@松山ケンイチはある意味二役やったわけですが、そのあたりちゃんと別人になってて面白かったなあ。
「恨みはらさでおくべきか」のシーンの迫力もあれば、田舎で茄子を美味しそうに食べる様子とか、イチイチ笑える(^^;。

それと、佐治クン@高橋一生がひそかにお気に入りでした。
「ラブ・マイ・ライフ」では気弱なゲイ青年を演じていた彼は、今回タンバリンを軽やかに操るオシャレ青年になっていました。あのさわやかさはファニーフェイスな彼にあっていたと思います。

そして、ジャギ様:和田クン@細田よしひこ。
DMCのコンサートシーンでは、ジャギ様は全身タイツ姿なんですが、模様がヘンで(笑)。しかも体型がスレンダーだから、身体全体から頼りなさがにじみ出ていて、笑えたよ。メイクは、白塗りに書かれたラインは猫っぽくて、あの顔も好みだったな。

体型といえば、松山ケンイチも背が高くて細かったですね〜。
クラウザーさんが最後の決戦に向かって走っていくシーンでは、あのひょろりとした姿が印象的でした。
某悪魔系バンドのボーカルさんはスレンダーという表現からは程遠かったからなぁ(^^;。

DMCのコスチュームの製作もJAP工房さんという、なんだかお馴染みの…(^^;。
映画そのものも確かに面白いコメディだったというのはあるんですが、私としては物凄く大好きなバンドを思い出させる要素が多くって、嬉しくなったんでありました。

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