蝸牛

2017年2月2日 エッセイ
幸せ、と書くと、何となく大仰な感じがしてしまうので、満足、と言い換えてもいいかもしれない。

こういう感情は、結局のところ、自分で生み出すしかないと思っている。

どんな環境でも、状況でも、他人との関係性でも、現象として同じことが起こっても、それをどう感じるのか、という個人の部分で、随分と気持ちや印象が変わる。

そうであるならば、自分が幸せになるために、いや、満足するためには、現象を受け取った自分がどうその感情を消化させていくのがいいのか、その答えは、たぶん、単純だ。


そういう考え方は、多分、独りよがり、と言われるかもしれない。
でもだから、何?

自分の気持ちいいことを欲して、他人に何を強制するでもなく、感情を処理することは、…少なくとも悪いことじゃないよね?


きっと、私が、「閉じて」いるからこその、対応、方法、考え方なのだろうとは思う。


他人と積極的に交流したい人には、向かない方法。



でもね、私は極端な宗教家に見られるような、絶対正義という主観は信じてないから、自分の満足のためにも、「閉じて」いる姿勢が常になってる。
と自己分析。



普段はかたつむりのように中に浸ってることが多いけど、それでもたま~に外気に触れて、面白そうな人に相当な勇気とエネルギーを使って接触して、その結果に幸福を感じる、っていう生き方も、そう悪くないって思うのさ。


では、また。

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