今までの野田さんの扱うセリフは言葉遊びが多くて、そして演劇上でのセリフというスタイルからか、それは韻を踏んだ「音」の重ねが多く取り入れられることが多かった。

それが、今回は漢字をメインとした言葉遊びになっていました。
「俤(おもかげ)の中にいるのは弟」「救いの中には『求』がある」「救われたい魂の中に『鬼』が住む」「月日を経て『魂胆』になる」など。

舞台はある書道教室。
しかし登場人物たちを追っていくことで、実はそこが書道教室の体をした宗教団体だということが伺える。
その閉鎖された空間の中で、次第にエスカレートしていく感情たち。
家元と弟子たちの異常な空気は、どんどんと濃さを増していくのでした。

オイルは9.11、ロープはベトナム戦争、で、今回の話は日本で起こった過去の事件がモチーフです。
事件はとても衝撃的で、マスコミはこぞって連日いろんな情報を発信していたのだけれども、その熱心さもまた異常なほどだったのを覚えています。
それほどに事件の影響が強く大きかったってことなんでしょう。

舞台を見るには、基本的には最初に情報を仕入れてからみることはしません。
だから、今回の舞台も事前にちょこっとだけギリシア神話のモチーフ(?)があるような、そんな断片を聞いたぐらいで、物語がどういうものなのかは知らないまま見ていました。

舞台は、書道教室であったり、ギリシア神話の世界であったり、マドロミの彷徨う空間であったり、様々に場を変え、また交じり合い、していくのですが、その物語が進むにつれて、まさかこの物語はあの「事件」が元になっているのでは…と、ある程度の年齢の人だと思い当たるようになっています。

そして、今度はその想像が出来てしまうと、あの救いのない事件が、この物語でどのように表現されてしまうのか…それに対する悲しみと悲惨さを先に感じてしまって、後半苦しかった…。

主人公マドロミを演じた宮沢りえは、もちろん巧いのですが、個人的には最後まで古田新太が怖かった。
笑ったり、大きな声を出したり、いろんな表現をしていながらも、決して目が笑っていない、異常な冷静さが根底にあって、それがずっと怖くって。

最後まで「スクール水着!」と言っていた彼の、本心はどこにあったのか。
そもそも一般人の持つ本心といった気持ちか感情が、彼にはあったのか。
その、底の見えなさが、やっぱり怖い。

そういう恐怖感というのは、結局のところ「わからない」から湧き上がるんだと思う。
そんなわからない人とも、同じ空気の中、同じ社会の中で暮らさねばならないというのは、本来とてもリスクが大きいことなのかもしれない。


観終わってからも、暫くどろどろといろんな感情が頭の奥のほうでうごめいていた感じがした。
「THE BEE」を見たときには、胸の中のうねりが大きくて息が詰まるようだったのが、今回はそういうのともまた違っていて。
ただ、とにかく、「だから、じゃあ、どうすればいいの?!」と、惑っていた…ような感じ?

相変わらず、野田秀樹にはやられっぱなしです。

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