▼「The Diver」

2008年10月4日 演劇
英語の舞台だったので、かなり最初から覚悟を決めて観る事にしました。
覚悟というのは、何らかの情報を受け損なう、ってこと。

セリフをしっかり把握するには字幕を見る必要がある。
字幕を見てれば、俳優の演技を見落とす。

これは野田さんの舞台としては、かなり大きい欠落だと私は思っていて、見終わって案の定やっぱり…と思った。

一回見ただけだと、全然足りない。

途中からセリフを読むのは半分諦めました。
言葉よりも演技に集中したほうがまだマシ。
この演技と雰囲気をちゃんと受け止めたいって思ったんだよね。

ああ、それにしても悔しい。
ヒアリング出来てた同行者が羨ましい…。

物語は、殺人を犯した女性が判決を受けて刑を執行される日までの、精神科医とのやりとり、となるのかな。
その中で、加害女性は人格がいくつか入れ替わりながら、事件の背景を語りつつ、人間の持つ悪意や憎悪、悲哀が描かれます。

いやしっかし、キャサリン、小さい(^^;。
野田さんも小柄ではあるけど、彼女の小ささは他のキャストとの比較もあって凄く目立つんだよね。しかしこれが演技が入ってくると、すっごい存在感になるんです。
本音を言うと私はキャサリンの演技のタイプが好きじゃないんだよねぇ。
でも力のある演技というのは、そういう好き嫌いを演技の最中には思い出させないぐらいの圧力をもって受け止めさせられるんだよなと、体感しました。
圧巻。

なんとも後味の悪い終わり方ではあるんだけど、人間の感情や業について考えざるをえないクライマックスでした。

個人的には、妊婦の堕胎にまつわるシーンが辛かった。正妻が電話で詰るシーンです。

もともとどういう表現方法であっても堕胎表現って、私は凄く気持ち悪い感情が強く働くんだよね。それは倫理的なというよりも、物凄く個人的なことによる感情が作用しているんだけれども(いや私は堕胎したことないけど(^^;)、他の多くの人とは受け取り方がちょいと独特なのかもしれない。
でもそのため、あのシーンとクライマックスの赤い布のシーンは(文字通り)見てられなくて、意味を受け取りそこねちゃったんだよね。
…舞台として表現しているものを見損ねてしまって、作品としてしっかり見れなかったのが、自分のせいだけど、残念でした。

叶うことならもう一度見たいと思う。
きっと楽しい体験じゃないだろうけど、でも舞台表現というのは楽しさがすべてじゃない。
野田さんという天才が発する情報を、ちゃんと受け止めたいという気持ちから。

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