自分の経験していないことは、本当の意味では自分はわからない。
と、思う。

もちろん、社会生活を営む大人の人間関係においては経験していないことであっても、普通な想像力があれば十分対応はできることが望まれる。
まあ、大抵のことは想像力でカバーがきくので、常識のある人ならこれで困ることは少ないのではないか。

それでもやはり、想像力ではカバーできない種類のものもあるのだろうと私は思っている。

何かで傷ついた人がいる。
私は同じ経験をしたことがないのだけど、知識として、そういう時傷ついた人は辛いだろうな、と想像する。
境遇に同情する場合もある。感情に共感することもあるだろう。もしかしたら、なにかアドバイスなど、いや単純に声をかけてあげたい、と感じるかもしれない。

しかし、ここで私はいつも立ち止まってしまう。

自分の中で精一杯想像を逞しくして、そういう場合に自分がされて嬉しいことはなんだろうか、自分は嬉しくないとしても一般的な反応として喜ばれることはなんだろうか、それをどこまで考えていっても、
 それが相手に通じなければ、何にもならないんじゃないか
と思うから。
いや、下手をすると、何もしないよりも酷いダメージ(追い討ち)を相手に与えてしまう可能性も、…ある。

私は、他人の無責任な発言や無遠慮な対応を不愉快に思うことが多かった。
これは経験上の話。

自分が普通の人とはちょっと違った思想/嗜好を持っている(らしい)から、より強く感じているのかもしれないけど、まあそういう経験をして今まできた。

そのせいか、自分の発言で、自分が好意を持つ相手を傷つけてしまうかもしれないというのが、怖い。

最低限、対面してコミュニケーションをとっているなら、まだマシだ。
相手の表情や声、態度で、もし自分の対応が間違っていたらわかるだろうから。

しかしこれが、電話だったりメールだったりといった、その瞬間実像のない相手には、途中での軌道修正がきかない。
こちらにそのつもりがなくても、失礼な対応をしてしまうかもしれない。

相手に対して自分が好意や親しさを感じる度合いが強いほどに、こんな時、自分の対応はどんどん慎重になってしまう。

それでタイミングをはずしたりして、相手に冷たい/つれないなんて思われてしまうこともあるのだけど…。

まだまだ人生修行が足りないってことなんでしょう。

では、また。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索