自覚はありますよ。
私はナルシストです、自分の文章に対して。
創作文とか、手紙とか、日記とか、とにかく私は自分の文章が大好き(笑)。
もともと文章を書くことがすきだというのはあるけど、自分の気持ちを文章として出力すること、そしてそれを後から読み返すのが、凄く好きなんですよ。
古い、子どもの頃に書いた文章だとか、今読むと恥ずかしいものや、稚拙な表現や、見栄っ張りなものなど、とてもじゃないけど他人にはお見せできないもの全部、読み返すのが好きなんです。
文章表現に対して自信があるわけでもないし、国語力という意味での文章力も特別立派なものがあるわけじゃないんです。
ただ、私は文章として表現することで、その表現したいと思った感情を思い出すことができるのが好きなんだと思います。
体験した事って、すっごくよく覚えていることばかりじゃなく、やっぱり忘れたりする。
時間がたてば、忘れたことだって忘れてしまって、自分の記憶からはまるでなかったことになっていたりする。
例えばそんなことがらに関して、何年か後に自分の書いた文章を読むことで思い出すことが出来たりすると、今度は違った感想を持ったり、いややっぱり以前と同じ気持ちになったり、追体験することになる。
そういう経験も自分では大切なのかなとも思うし。
これまで毎日なにかをするという行為が苦手でずっと退けてきたわりには、ここの日記は意外に長く続けられているのも、そんな気質からくるんでしょうね(^^;。
では、また。
私はナルシストです、自分の文章に対して。
創作文とか、手紙とか、日記とか、とにかく私は自分の文章が大好き(笑)。
もともと文章を書くことがすきだというのはあるけど、自分の気持ちを文章として出力すること、そしてそれを後から読み返すのが、凄く好きなんですよ。
古い、子どもの頃に書いた文章だとか、今読むと恥ずかしいものや、稚拙な表現や、見栄っ張りなものなど、とてもじゃないけど他人にはお見せできないもの全部、読み返すのが好きなんです。
文章表現に対して自信があるわけでもないし、国語力という意味での文章力も特別立派なものがあるわけじゃないんです。
ただ、私は文章として表現することで、その表現したいと思った感情を思い出すことができるのが好きなんだと思います。
体験した事って、すっごくよく覚えていることばかりじゃなく、やっぱり忘れたりする。
時間がたてば、忘れたことだって忘れてしまって、自分の記憶からはまるでなかったことになっていたりする。
例えばそんなことがらに関して、何年か後に自分の書いた文章を読むことで思い出すことが出来たりすると、今度は違った感想を持ったり、いややっぱり以前と同じ気持ちになったり、追体験することになる。
そういう経験も自分では大切なのかなとも思うし。
これまで毎日なにかをするという行為が苦手でずっと退けてきたわりには、ここの日記は意外に長く続けられているのも、そんな気質からくるんでしょうね(^^;。
では、また。
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