選挙権をもつ年齢であるという意味で、自分は大人だと社会に見なされているんだろう。
でも、全然自慢できないけど、実は政治に関してあんまり興味が持てないのが正直なところだ。

その理由をちょっと考えてみたけど、多分まだ子どもの頃に「結局何も変わらないんだ」「大人って全然エラくないんだ」と思ってしまったことが、大きな理由な気がする。

小学校の修学旅行で、国会議事堂の見学をした。

まだ全然政治に興味がなく、知識もなかったけど、教科書にちっちゃな写真がのっていたり、大きな事件があったりするとTVに映ったりで、一応その名前とか建物をみた事があって、自分には全然身近ではないけど有名なところであるという認識で見学にいったように思う。

広い廊下の中央には赤い絨毯(あんまり綺麗じゃなかったのが印象的(笑))が敷いてあって、質疑応答などをするらしい会議場はなんだか独特な雰囲気が漂っていて、漠然となんかスゴイなあって感じた。

小学校の社会の授業で政治に関することでは、衆院参院のシステム的なこととか、憲法などの成り立ち、資本主義社会の特徴などを扱っていたような記憶がある。

当然、そこでは理想とされる政治や社会に関して教わるわけで、例えばクラスでの代表選出が必要になれば、投票や挙手による多数決を行ったり、主義主張の演説をしたりという過程をへて、結果として社会システムを理解していくことになるわけだ。

そういう学習の中で一番わかり易く身近なこととして、「自分の主義主張は相手にわかり易く伝える」とか、「反対意見であろうと、ちゃんと相手の話を聞く」とか、もっと卑近になってくると「誰かが発言している時には静かにする」なんていう、どちらかというとマナーというか躾けに関するようなことも教えられるのね。

小学生ですから、そういうのも教育の一貫だったんでしょう。

まだクラスとしてまとまってなかったり話が脱線したりはよくある事で、だから余計に「大人は、ちゃんと出来るんだ。しかも国会っていうスゴイところにいくエライ(らしい)人たちは違うのかな」と漠然とした印象を抱えていたんだと思う。

それは、中学にあがってから偶然みた国会答弁の中継放送で覆される。

まず一番びっくりしたのは、発言者の言葉を遮るようにして、罵る言葉をかける大人がいたこと。いわゆるヤジってやつ?

それ意外にも、質問に対してまっすぐに回答しない(すり替えがあったり、ごまかしたり)とか、席で議員が寝てるとか、なんだかもうあまりにやってることが大人とは思えないことばかりで、ショックというかなんか呆れてしまった。

その後、投票するのにわざと時間をかけてみたり(牛歩戦術とかもっともらしい名前がついてたりするようですが)、議長を部屋に閉じ込めたり、大の大人が押し合いへし合いして会議が中断したり、などを目にするようになって、完全にもう興味を失ってしまった。

多分、ここで「こんなんじゃ駄目だ」「オレがなんとかしなければ」という正義な方向に意識が向けば、また違ったものの見方があったのかもしれないケド。
なーんか、冷めちゃったのよね。

そして、段々年をとっていくと、学生である間にいろんな政治家の汚職だとか、悪い面が目に入ってきたりして、選挙権を得る頃にはもう「投票したからって何も変わらない」という、ほぼ確信のようなものが出来上がってしまった。

そういう生ぬるい政治感情でも生きてこれる社会で育ってるってことなのかも。

それでも、とりあえず、今まで選挙で投票にいかなかったことはありません。
どこかでまだ何かを信じているからか、それとも単に選挙にいかない自分に罪悪感(謎)を感じたくないからか。

政治って、変わるのでしょうか。

では、また。

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