イギリス

2004年1月19日
子どもの頃に物語を読むとき、自分のおかれた現実世界とのギャップが、その楽しさの大部分を占めていた。

だから当時、物語のジャンルとしてファンタジーという言葉も知らなかった頃、自分の好みの物語が含まれている確率の高さから、外国文学に手を出していた。
外国文学、なんて大層な言い方だとちょっと違うかな。当時小学生だった自分が読んでいたのは、外国で書かれたいわゆる児童文学だった。

単純に石畳であるとか、古いお屋敷、森や野原や湖といった描写が、日本のそれとはやっぱりちょっと違っていて、その不思議さに魅了されていたのだと思う。

そのうち、雑多に読んでいくうちに物語に登場する国の違いも雰囲気としてなんとなくわかるようになってくる。

雰囲気というのかな、それとも空気感ともいうのだろうか。
イギリスの児童文学のそれが、とても好き。

そんな風に自分の好みをようやく自覚するようになってから、出会った作家が梨木香歩だった。
彼女の書く物語は、どこか私に少し古いイギリスの児童書を思い出させる。

だから、今回読んだ彼女のエッセイで、彼女がその空気や雰囲気を体験し、それを好んでいたことを知ったのは、すんなりと腑に落ちたのだった。

■「春になったら苺を摘みに」梨木 香歩
「西の魔女が死んだ」「裏庭」などに濃厚なイギリスの香りを感じたのは、間違いではなかった。
本書は、約20年ほど前に数年間イギリスの古い町で生活をし、その後も外国で外国人として暮らす経験をしてきた著者のエッセイだ。

下宿先の大家さんのことや、外国で黄色人種差別を受けたりすること、旅先で出会った印象的な人のことなどが、著者の回顧の形で記されている。

著者のものの見方は、とても冷静で客観的。あまり感情的にならず、淡々と描写していく様子が、そしてそれに相応しい日本語を選びとっている様子が、クールで理性的に見える。

特に、外国語を操る人に見られる、相応しい日本語の選択の仕方は見習うべきものがあると思った。

余談になるが、著者が初めてイギリスの学校に通うことの動機となったのが、シュタイナー学校の教師資格の取得が動機だったというのを読んだとき、自分が著者を好きだと思ったアンテナは間違いではなかったんだなぁと、すごく納得できたのは不思議。

では、また。

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