2003年9月3日
最近どうも料理の意欲がわかない。
もともと趣味レベルでしか関わってないので、毎日の食事という「家事」に属する料理はする気がしないし、できないんである。
とはいっても、共同生活を送るメンバの一人として、食事の支度はだれかがやらなければならないわけで…。

我が家の暗黙のルールでは、平日は帰宅時間が一番早かった人が食事のセッティングをすることになっている。家族は平日の日中は仕事で出払ってしまうという環境では、合理的で当然のスタイルだと思う。
食事担当は、基本的には作ることになるのだが、それができない場合は買ってくるか、家族に外食を提案することになる。

通常、帰宅してから最初にやるのは猫へのご飯やりと、猫トイレの掃除。それが終わってからが、人間のご飯の支度だ。
しかし今日はものすごく気分が乗らなくて、人間のご飯のメニューがさっぱりうかばない。冷蔵庫をみても、まったく何を作っていいのかわからない。
猫トイレの掃除も終わって、さて、どうしようかなというところで家族が帰宅した。

こういうときは、正直にお願いすることにしている。
気分が乗らないので、すみませんが、なにか作ってください。なんでもいいです。

ここで、家族も同じくその気になれない場合は、外食ということになるのだが、今日は変わってもらえた。ありがたい。

機会は少ないが、やはり自分がお願いされることもある。そういうときは、自分でその気になれば作るし、駄目そうならお出かけだ。


同じ家に家族として住むというのは、お互いに尊敬と感謝と情愛が必要だ。

心理的なものだけでなく、実際的な家事(食事を作ったり、洗濯したり、掃除をしたり)といった部分も公平に分担することが、まず大前提。
とはいっても、いろいろな事情で毎回担当の家事をこなせるとは限らないわけで、こういうときはお互いに助け合うようにすればいいだけの話。

実際今日みたいに、「今日はもうどうしてもこれはやりたくない」という状態になることがある。そういうときに、「悪いけど、今日は変わってくれないか」と申し出て、相手に引き受けて貰えると、とてもうれしい。そういう時はちゃんと言葉と態度で感謝を表す。駄目なら、一緒に解決案を考える。

そして今度逆のパターンになったとき、自分が大丈夫なら今度は引き受けたいと思う。そこで感謝の態度を示してもらえると、なんだかやっぱりうれしい。

こんな感情のキャッチボールが、家族を支える根となるのだと思う。

では、また。

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